『ルベーグ積分30講』 志賀浩二著(その9)

第8講 カラテオドリの構想

昔この本を読んだときは、このあたりで挫折したのだが、それはカラテオドリがやろうとしたことの意味がよく分からなかったからである。
ルベーグの定義を少し手直ししただけなのに、やたら難しい話になっていくので、面倒臭いと思ったのだ。
今では少なくともカラテオドリがやろうとしたことの意図だけは分かる。
ルベーグ測度には限界がある。それは有界集合Jの中の図形Sを考えていることで、無限小のタイルの極限として図形Sの面積を求めることには成功したが、常にJという有界集合の制限があり無限大を考えることができない。このことはルベーグの意味で定義された測度が有限であることを意味する。
ルベーグ測度の定義はm<\inftyであるが、カラテオドリ測度の定義はm\le \inftyである。この一見すると目立たない<\leの違いが大変な違いになるのである。
例えばカントール対角線論法区間[0,1]について証明しただけで、もしも実数全体には及ばないとすると、証明の意義が相当限定されるようなものである。(実際は区間と実数が全単射で対応しているから、実数全体が連続濃度をもつことになる)
カラテオドリルベーグのこの有限という限界を取り外して測度概念を無限大に拡大させたというわけである。無限大の面積を持つ図形など考える必要があるのかと思われるが、面積が有限に収まるか否かは結果論であって、収束するか発散するかを調べるうえで無限小の収束しか考えられない測度概念が数学として不充分であることはいうまでもない。
このこともまた第9講まで読まないと分からない。本書のこの辺りは順番に積み上げて読むのではなく次講を読みながら振り返る方が効率が良いようだ。

前回述べたように、「Sが可測集合である」とは、次のように内測度と外測度が一致するということである。

 m_{*}(S)=m^{*}(S)

これにルベーグの内測度の定義を入れると、次のようになる。

 |J|-m^{*}(J\cap S^C)=m^{*}(S) 
つまりルベーグは外測度だけで可測を定義しているのである。
移項すると、有界集合Jの面積が外測度だけで定義されていることが明確になる。

(別に移項しなくても明確だが、なお一層明確になる)

 |J|=m^{*}(S)+m^{*}(J\cap S^C)

だが、ここで疑問に思うのは、Jが面積|J|を持つということはJが可測集合であるということを既に前提としていることである。するとその部分集合であるSもまた可測集合であることは自明ではないかと思われるのだが、なぜこのような条件が必要なのかということである。
このような疑問は前のカントール集合の説明の際、実数全体の集合が測度ゼロの可測集合になることから、実数の完全加法性と可測性を私が混同したためかもしれない。
思うにJが可測集合であるということはJの境界線が決まるということである。それはJを含むより大きな別の集合との関係で決まることであって、Jの部分集合Sが可測であることまでは保証しないのかもしれない。Jが可測集合ということはその部分集合Sに外測度と内測度が存在することを保証するだけであって、両者が一致することまでは保証していないのではないか。つまり完全加法性と可測性(境界線が定まること)とは別のことである。してみるとSSの補集合の外測度の和がJと一致したとき、Sの境界線が定まるというのはもっともなことである。
このJがウザイし数学的にイケテないうえ無限大を考えるのにも邪魔になるということで捨てたのが次のカラテオドリの可測性の定義である。

SR^2の部分集合とする。すべてのE\subset R^2に対して、つねに次式が成り立つとき、Sカラテオドリの意味での可測という。

 m^{*}(E)=m^{*}(E\cap S)+m^{*}(E\cap S^C)

これは図形Sに図形Eが交叉しているとすると、Sと重なる部分のEの外測度と、SからはみだしているEの部分の外測度との和が、Eの外測度であれば、Sは可測であるということである。すべての部分集合Eだから、図形Sに対してどのような交叉の仕方をするEであろうと、すべて成り立つということだ。だから考えられるすべての交叉する図形Eについて成り立たないといけないので条件が厳しくなるが、S全体を囲むJを考えずに、S\varepsilonレベルで交叉する図形Eを考えることで、より自由になっているといえよう。
またカラテオドリルベーグの可測性が完全に同じものであることの証明は第13講で与えられる。
しかもこの定義では、R^2の部分集合Eと外測度だけでSの可測性が定義されている。
このことからルベーグの測度概念が驚くべき方向へ転回されることになる。
つまりルベーグのように図形Sを覆うタイルI の面積(半開区間による四辺形)などを考える必要はないということである。Iの面積も定義で導入されているに過ぎないのであれば、外測度そのものを最初の出発点として公理的に展開すればいいという発想である。
ユークリッド空間のような直観ではなく、抽象的な集合と外測度だけで測度論と積分論を構成し、具体的にどのような値を測度に対応させるかは、理論が完成した後で事象(確率、距離など)の集合ごとに適用すればよいということだろう。
著者の次の言葉がそのことを明確に言い表している。
「測度論とは、集合が与えられたとき、その部分集合の大きさをいかに測るかという理論であり、この理論を織る糸は、まず外測度の投入によって与えられる。そして理論の目標は部分集合の可算列が与えられたとき、その極限移行の様子を、“測度”を通して、実数の極限概念にいかに投影していくかということにある」(60頁)